2013年7月26日金曜日

選挙のたびに思う事。

何か今日、昼飯作りながらボンヤリ考え事してたのだけれども、今の選挙制度って、確かベンサムの最大多数の最大幸福がベースの考え方になって、出来てると記憶してるんだけど、今回の参院選の結果とか見ると、というか、選挙のたびに思うのだけど、民主主義って仕組みとして既に古くなっているんだろうなぁと思ったりしました。

現在の選挙制度は、ある時期の為政者が都合のいい様に作り替えた歪んだ物な訳なんだけれども(小選挙区制と比例代表の事ね)そんなのは些末な問題で、もっと世代間の格差を是正しないと、どうにもならんのだなと思ったり。でも、その面では既に日本は手遅れな訳で。

で、もしもの話なんだけれども、ベンサムの最大多数の最大幸福は正しいか間違っているかは置いといて、非常にキャッチーなわかり易い考え方なので、これをちょっと改変して、時間の概念を導入したらどうだろうかってな事を考えていました。

具体的には、最大多数の最大幸福が最大期間維持される様な所を目指すといった感じ。

これが理屈として通ってくれれれば、若年層に対して選挙の票の重み付けが可能になって、若年層に有利な政策が取れるんじゃ無いかなと。どうっすかね?ダメっすかね?
もちろん、平均寿命を過ぎたお年寄りは選挙権剥奪で。

色々破綻してるのは分かってるんだけれども、これくらいドラスティックな事しないと、この現在の40歳以下の年代を覆っている閉塞感って拭えないんだろうなとか思ったり。
実際、若者が希望を持てない社会ってなんなんすかね?今見てると真面目な若い人程割食ってるっていうか。
でも選挙制度変わったくらいじゃどうにもならんかもと思ってたりもします。
歴史が証明してんだけど、官僚システムの耐用年数ってのはだいたい60年位で、腐敗が進んで国が転覆するのを繰り返してる感じで、恐らく今一番ヒドい感じの時なんですよねー。そろそろガラガラポンが必要な時期みたいな。
勝栄二郎みたいな輩には天誅が下らないとダメなんスよ。ホントに。

そういう意味では、テロは官僚機構に対する抑止力になりうると思うし、江戸時代とか明治時代とかは結構それで上手く回ってたんですよねー。
テロを肯定する訳では無いんですが、官僚の腐敗はそれよりも悪って認識で臨まないと。

コンプラ重視とか、マナー、ルール遵守もいいんですが、それって誰が何の為に決めたんすかね?その辺の見極めをせずに盲順してると、いい様にやられっぱなしっすよ。


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